tonystarkmakesyoufeel:

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Hulk: The Manga

I found it

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(出典: digimomz)

スイスと言えば、美しいアルプスの山脈と素朴に暮らす人たちの光景が思い浮かぶ。あるいは、時計職人、銀行家というイメージも別にある。

そのどれもが保守的で物静かな感じを受けるのだが、ロマの歴史からスイスを見たとき、スイス人はとても残酷な歴史を隠蔽している民族なのではないかという疑念がふつふつ湧いてくるようなものもある。

たとえば、スイス政府の認定を受け、閣僚も名を連ねる「青少年のために(Pro Juventute)」という組織の十数年にも渡って続けてきた行為などは、私が想像に描いていたスイス人のイメージとは違う。

この団体は、「ロマの子供を両親から引き離し、ロマ民族と文化を殲滅する」というスローガンを抱えて、実際にロマの子供たちを誘拐し、強制収容し、ロマの言葉や文化を一切教えず、暴行や性的虐待を繰り返してきたという。

これが、政府公認だった。誘拐されたのは分かっているだけでも、1,000人を越えており、意味もなく電気ショックを与えていたり、殴りつけていたという。

スイスだけではない。チャウシェスクはロマ民族を毛嫌いしていて、ルーマニア民族優等主義を標榜してロマを迫害・排除に動き、財産や職を取り上げた上で強制隔離してしまった。

ルーマニアではロマ人の隔離された場所をゲットーと呼び捨てていたようだが、ゲットーとはドイツ人がユダヤ人を強制隔離した場所を指す言葉ではなかったか。それと同じ目をロマの人々は味わされていた。

今でもルーマニアではロマ人を差別しており、その差別の内容も一方的で容赦がない。ロマ人に対する、虐待・集団暴行・レイプが今もルーマニアで横行しているという。

では、ゲットーという概念を作り上げたドイツではどうだったのかというと、やはりロマは排除の対象だったようだ。いや、排除ではなく、虐殺の対象だと言うべきだろう。

ナチス・ドイツはドイツ・アーリア人の優等主義を打ち出していて、そこから漏れる民族は片っ端から「強制収容所」に送り込んでいた。ユダヤ人がその最大の被害者だったが、そこにロマ人も含まれていたのである。

アウシュビッツで死んだのはユダヤ人ばかりではなく、ロマ人もまた含まれている。その数は約二万人だと言われており、スイスの「青少年のために(Pro Juventute)」とはケタ違いに被害が大きい。

ヨーロッパのありとあらゆる国で迫害を受けてきたロマだが、どの国の迫害を見ても分かるのは「凄まじく嫌われている」ということだ。

嫌われ、迫害される主な理由が4つほどある。

・流れ者の民族で文化が違う。
・キリスト教徒ではない。
・コーカソイド(白人系)ではない。
・個人主義で、決して地域に同化しない。

要するに彼らは異質であり、異教徒であり、異端だった。地域に同化しない人間というのは得てして目立つ。そして、その非協調性によって排斥される。

宗教が違うというのも、また広い意味で、非協調性だと思われるものがあるだろう。つまり、同化しない人間は地域社会から許しがたい存在である。

おまけに肌の色が違ったら、ますます異端者扱いされる。「他所者だ」と思われて、頭から拒絶されるのである。

ヨーロッパでロマという民族は何か得体の知れないものであり、理解できないものであり、地域の秩序を乱すものだと捉えられた。

まして、彼らは一箇所に定住せず、適当な場所に勝手に泊まり、身なりは汚いことが多く、子供たちは平気で物をたかったり盗んだりする。言葉は通じないことも多いし、動物を引き連れていて不気味な集団なのである。

ロマ(ジプシー)という民族を調べながら、私が思ったのは、ここに迫害の要素がすべて詰まっていることの確認だった。

「文化が違う、宗教が違う、人種(国)が違う、個人主義」というのは、迫害される要素の最大のものなのだが、ロマは不幸なことに、そのすべてを兼ね備えてヨーロッパを徘徊している。

ふと、そのような要素を持つ人間が個人にいることも気がつくが、そういう人は大抵、嫌われ者だ。「他人と違う」というのは、往々にして、そういう悪感情を他人に呼び起こす。

原田知世 - シンシア

原田知世/時をかける少女

pupa - ロマンス

すぎのこ村とは、忘れ去られた村である。

概要

すぎのこ村きのこの山の奥にあるたけのこの里、その手前の小さな集落をもって作られた村がすぎのこ村である。1987年に村制施行したが、翌年には村になってしまった。その理由はわかっていないが、一説によると戦渦に巻き込まれ跡形もなくなったという。

特産品は細長いビスケットにつぶつぶアーモンドをたっぷりつけてチョコをかけたお菓子であった。現在は「ラッキーミニアーモンド」として伝わる物がそれだという説もある。

存在した期間が短かかったため、知る人も少なく話題に上がることもないこの村であるが、たまに姿を現すという噂がある。2005年撃されたときは中層ビルが建っていたといった言もあることから、現在妖怪が住む異世界の村となって発展しており、時々人間の世界と繋がることがあるのかもしれない。

古くからすぎのこ村に伝わっていたという民謡が残されている。

きのこたけのこ、あのこはだぁれ
すぎのこー村のすぎのこじゃ
きのこたけのこ、すーぎのこ
すぎのこもそろって食べ盛り

きのこたけのこ、すーぎのこ
じゃんけんぽーんでかくれんぼ
きのこたけのこ、みーつけた
すぎのこもそろって食べ盛り

余談だが、1970年代後半から1980年代にかけて森永の「くるみ」「どんぐり」「つくんこ」、ロッテの「パイの実」「めだか」、ブルボンの「きこりの切株」など「きのこの山」や「たけのこの里」と似たようなお菓子がたくさん作られたが、現在ではごく一部を除き姿を消している。

139 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県) sage New! ▽1件 投稿日:2011/12/21(水) 14:54:37.74 ID:3GnFt9S/0 1回目
上田馬之助さんも深夜に出待ちの中学生に写真を撮られたことがあるらしい。
突然写真を撮ってきた中学生に向かって「こらっ!」と一喝。名前と電話番号を聞き出すと
「夜分遅く失礼します、上田と申します。XXさんのお宅でしょうか」
と、少年の自宅に電話をかけた。
「…というわけで、ただ今お宅のお子さんをお預かりしています。今から必ずそちらにお返しします。…はい」
少年の親に事情を説明して受話器を置くと、筆と紙を取り出してサインを書き
「いいか、写真を撮りたいときはな。まず相手の人に「写真を撮らせてください、お願いします」と言うんだぞ。わかったか」
と言いながら渡してくれたんだそうだ。

※上田さんは礼を正してサインを頼まれると鞄から硯を取り出して墨をすり、使い込んだ筆で丁寧に書き込んでいたそうだ。

※俺が知っている上田馬之助さんのエピソードは、当時いかに嫌われるか
を考え、芸風にしていた彼はサインを求めに来た子供に対し「邪魔だどけ!」と
振り払ったそうだ。
その後、子供の寂しそうな顔が忘れられず、付き人にその子らを呼び出させ
裏で優しくサインをしてあげたそうだ。